Xデザイン学校大阪分校公開講座+次年度説明会「ビジネスとこれからのデザイン」
大人の学びとXデザイン学校
今回担当させていただいたLTのテーマがこれでした。このLTの内容検討と、グループワークのテーマが「浅野先生について」だったことで、改めて自分にとってサービスデザインを学ぶ意味、Xデザインに通いたいと思った意味を考察できました。それと同時に「大人の学び」の意味を考察出来ました。
学生のころは新しい事を学ぶ事は学生の義務というか普通の事でしたし、学んだ結果がテストや入試によって数値化され、順位化される事で良い意味で順位化が簡単だった故に自分の実力を正確に知る事が出来ました。
また、良い結果が得られれば周囲から褒めてもらえ認めてもらえる、そして進学や就職に有利になるという学ぶ事が当然でメリットが明確でした。
ではXデザイン学校含めた資格取得以外の大人の学びの目的やメリットは?
資格を取るための学びは学生の学びと近く、試験によって結果が数値化されますし資格を取得する事で収入を増やす事につながるのでメリットや目的が明確です。
私の場合、元々Xデザイン学校に行こうと思ったキッカケは、自分が所属している部門がUI・UX開発課になり、UIデザイナーであった自分にUX検討を推進していく必要が出てきたためです。
もしかしたら上の人はUIとUXの違いなんて深く考えていないかもしれません。しかし私にとってはUIデザインとUXデザインは全く別物です。
UIデザイナーという職業は製品もしくはアプリケーションを検討の範囲としていて、あくまでもモノありきの仕事です。これではモノのデザインをしている従来のプロダクトデザイナーと大差はありません。そして検討の範疇がここだけですと、佐藤さんが講演されていた通りのいわゆる「社内外注」になりがちです。
しかしUXデザインはより広範囲なユーザーと製品のタッチポイントを考慮する必要がありますし、もはやUXデザインという領域も狭い(古い?)分野になりつつあります。
大人の学びは意外と目的やメリットがあやふやで外化できていない
なぜなら大人(社会人) の義務は働く事であり、極論としては何も学ばなくても良いのです。
会社勤めの人(特に大企業の社会人)はよっぽど悪いアウトプットでなければ給料を安定してもれえます。何も学ばなくても、そうそうかなり悪いアウトプットは出るものではありません。とりあえず現状維持できます。それに慣れてくると、その生活がルーティーンになり、ぬるま湯になります。人間の特性上、やっぱりぬるま湯に浸かっているのは心地良いです。
今だけを考えると良いです。しかし長期的にはどうでしょうか?急に景気が悪くなった時、会社の業績が悪くなった時、組織というぬるま湯から出たとたん自分という個人には何が出来るのか改めて振り返ってみるとどうでしょう?
急に危機感を感じる方も多いと思います。私個人の仮説ですが、「大人の学び」の本質は○○の資格を持っていますという事ではなく、 学びという経験を元にして自分が他に提供できる価値を言語化できる事、そしてそれによって組織に従わなくても自分だけでも生きていける確信が持てることだと思います。
「なんだか不完全燃焼!」と感じ、日常がぬるま湯であると再認識する事こそ成長のキッカケと信じて、この1年も学びを深めていきたいと思います。
今後ともよろしくお願いします!